自称山崎賢人似26歳日記

自称山崎賢人似の26歳の日記です。彼女はいます。

朝井リョウ著「もう一度生まれる」という名のトドメの接吻

朝井リョウ著「もう一度生まれる」を読んだ。

 

舞台は高田馬場にある大学だったり、ダンスの専門学校だったり、美大だったりする。

登場人物は、

・誰もが憧れる華やかな容姿の女の子

・髪に青いメッシュが入った女の子

・いわゆる「普通」の大学生の男の子

・映画作りにのめり込む男の子

とか色々出てくるが、

こんなものは、限定されたコミュニティでだけ、一見「すごい」とか特徴的に見られるだけで、実際にはいくらでも似たような人はいる。

自分に似たような人はたくさんいる。

悲しいが事実。

 

それでも、自分が属するその狭いコミュニティの中でも、

人は自分のことを「すごい」特別な存在でありたいと思うものだ。

他人から羨ましがられて、尊敬の対象となって、たまたま表彰されたり一定の評価をえたりして。

とにかく、自分は他の人とは違う「特性」「能力」「センス」を持っていると思いたいものだ、よね。

 

でも、やっぱり、どうしても、生きる世界が広がるに従って、

自分の「たかが知れている」ことに気がつき始める。

 

愕然とする。呼吸もできなくなる。

僕たちはそれだけで十分すぎるほど傷つくことができるほど、ナイーブだ。

こと、そのぐらいの年齢においては。

 

時にはそこで諦めてしまうこともある。

「自分はいくらやってもあの人には叶わない」

など、努力をしないことの言い訳だったり

「あの人は才能があるだけで、他の人より得をしている」

と、自分より秀でている他者の営みを否定したり。

 

才能だけで成り立っているものなどない。

僕らは言い訳することでしか、自分を正当化できない。

そんなのは悲しすぎる。

 

それでも自分に勝ち抜くための方法はないか。

努力をすることで抜きん出る道はないか。

自分が心地よく呼吸をできるための苦しみを甘んじて受ける勇気が僕にはあるか。

 

少なくとも、

「ハル」が背負っていた「歪んでいる自尊心」や、「椿」のように自分が持って生まれたものをたくましく使って人生を器用に生きるずるさや、「」が向き合っていた自分が好きなことを仕事にしていくために向き合う強さなど、何一つそんな輝かしい過去はない。

 

羨ましい。

挫折した過去は自らが挑んだ証だ。僕には胸を張って語れる過去がない。

自ずから鮮やかに描ける過去などない。

こうやって、あやふやな日本語を駆使して、なんとなく自分を表現しているような気持ちになることしかできない。

 

朝井リョウの本を読むと、

登場人物のうち、誰のキャラクターに近いかな、ってことを考える。

 

それだけ、朝井さんの書くキャラクターは、それぞれが個性的。

でも、結局考えても、ぴったりと自分に重なるキャラクターはいない。

ちょっとずつ、どのキャラクターにも重なる部分があることに読み進めると気がつく。

 

それによって、

僕は自分自身の個性のなさを、恥ずかしくなったり、無計画な自分の人生を悔やんだり、無軌道な人生を情けなく思ったりする。

 

僕は、どこに向かうのだろう。

どこまで行けるんだろう。

 

グダグダ行ってないで、何か始めろって話ね。

 

なかなか動き出せずにうだうだしている自分が嫌になっている人。

朝井リョウさんの本、読んでみるといいですよ。

 

眩しいけど、ちゃんと照れないで、まっすぐ現実を見ましょう。

ばいやーい。